更新履歴欄

洞窟物語
世界樹の迷宮
セブンスドラゴン
その他二次創作
【更新履歴】
17/2/28 音楽ノート|2015年~今年にかけて録音していたオリジナル曲や、20年前、子供の頃に作った曲など……たぶん30曲くらい追加。

2017年2月22日水曜日

私と『ラ・ムラーナ』が合わなかった理由

突然ですが『ラ・ムラーナ』である。

2005年にPC向けにリリースされ、2011年にWii Wareとして発売、2014年からはリメイク版の『ラ・ムラーナEX』がPlayStation Vita向けにダウンロード販売されているインディーズ発のゲームである。

旬と語るには月日が経っている。攻略Wikiの更新も2年以上前だ。
が、Vita版で最近やっとプレイした私にとっては今が旬だし、少々、語りたい。
現在のプレイ時間は8時間程度。ボスは4体くらい倒した気がする。

まず、良いゲームである。

世界観が良いし、キャラクターのセリフの掛け合いも良いし、音楽も良い。

舞台は、「すべての文明の起源」と目される遺跡「ラ・ムラーナ」。
遺跡内は像・壁画・建築様式がしっちゃかめっちゃかで、現実に伝わる様々な文明があたかもミックスされたような、無国籍状態みたいなことになっている。
しかもちゃんと、しかるべきアイテムを持って調べれば、「○○遺跡にある□□に酷似している」、と考古学的一口メモが表示される。

そう、言い忘れていたけど、主人公は考古学者だ。
それも、忍者の末裔で異常な体力の持ち主のマッチョな考古学者だ。

そんな考古学者、「ルエミーザ=コスギ」を操作して、遺跡の謎を解き、伝説上のモンスターを倒していく。

面白そうだ!

いや、面白いのだ!

遺跡の謎、というのがまた良い。 「ラ・ムラーナ」は20個弱ある遺跡が複雑に接続しあっている巨大ダンジョンで、それぞれにキャラクター性、というかコンセプトがある。

例えば解りやすいのが序盤の「巨人霊廟」。
ここでは石造りの巨人像が9体立ち並んでおり、雰囲気作りとしても十分だし、その腕や頭を移動手段として伝っていく事もできるエリアだ。

そんな中、エリア内に点在する石碑を調べていくと、断片から組み合わせて、9人の巨人たちのストーリーが見えてくる。
4人の巨人と4人の巨人が争った。
ある者は「月夜の晩に地への祈りをはじめた」。
ある者は「争いに破れ、胸に大きな穴を開けられた」……

ここからが面白くて、エリア内の仕掛けを作動させていくと、その石碑の文章になぞらえたような変化が生まれる。
特定の像の胸が開いてアイテムが出てきたり、実際に像が祈るポーズになって新たな足場になったり。

わくわくするのである。

で、それに乗っかってくるように、セリフに異常なクセを持つ登場人物たちが良い。
村の長老はコウモリカレーの作り方をメールで送ってくるし、3000年の眠りから覚めた少女は「眠い。我、寝ますね。」と仰々しく言って寝る。

雰囲気が良い、のだ。

さて。
そんなゲームだが、どうにも私は合わないのである。

これがナゼかというと、これはもう、どうにも、やっぱり、大人になったからという気がする。
身も蓋もなく言えば、歳である。

このゲームね……「効率よく謎解きをさせてくれない」の。
「一定の2Dアクションをさせることで、試行錯誤をする権利を得る」仕組みなの。

そうそう、また言い忘れてた。このゲームのジャンルは「往年の探索型2Dアクション」だ。
メトロイドの多くの作品とか、悪魔城の一部の作品とかの、アレだ。

謎解きつきの2Dアクションなワケだ。
グラフィックも、ちゃんと見せるべき箇所は解像度が高く、2Dアクションを提示する範囲ではシンプルにドット絵だ。

となると、操作性の話もしなくちゃならんのだが、操作性はね、アクションしてる分には普通です。

ジャンプボタンでジャンプして、攻撃ボタンで攻撃する。キーコンフィグつき。
もちろんハシゴは上下ボタンで昇降するし、ジャンプの軌道や幅は予測しやすい。

敵については、レトロゲーム準拠で普通。これが問題だ。

アタリ判定を無視して画面中を無軌道に飛び回る鳥、
自在にワープを繰り返し遠隔攻撃を行ってくる魔法使い、
こちらの武器が届かない行動パターンを繰り替えすボス、
ダメージによるノックバック、
動くリフト伝いに高所を移動している時に限っていいところにいる敵、
画面切り替えした瞬間いいところにいる敵、

レトロゲームで「プレイヤーをムカつかせてきた」パターンが、結構な箇所に配置されているのだ。

これについて、気に食わない事が2つある。

ひとつは、こういったものを批判してはいけないような雰囲気がありはしないか、ということだ。

「レトロゲーム」には、しばしば、「古き良き」または「良くも悪くも」がアタマに付く。
前者はいうまでもなく、後者も、本当に悪いと思った場合には付けることはない言葉だろう。

「不便や不親切さがあるのは解っている。だが、それを含めた味がある。解ってるんだ」と先手を打つために、レトロゲームには「良くも悪くも」が付けられる。

レトロゲームらしさの表現が上手ければ上手いほど、始めから、文句は想定してますよ、という顔をされるような気がするのだ(もしかすると、レトロゲームらしさを前面に出す場合、なぜか制作サイドは不親切さをセットに付けたがる、ということもあるかもしれないが)

それに、上記ムカつきパターンの対抗策は「テクニック」ということになるが、それのせいで、「下手なら文句いうんじゃないよ」ということになる。
ソレが理不尽だというのなら、プレイヤーの腕がそれを克服するべきなのだ、ということになる。

つまり、最初から「レトロゲーム的な」題材を選んだ時点で、「理不尽だ」というストレスを向ける先を奪われやすいわけである。

もうひとつは、ゲームが上手いということとゲーム体験としての満足感が別である、ということだ。

勿論、あくまで、個人的にである。

俺は、別に「ゲームがうまくなりたい」わけではないのだ。
謎解きアクションにおいて、俺は、「謎を解きたい」のだ。
そういった場合に、2Dアクションとしての腕の見せ所たる難所を通らされ、手がかりを集め、リフトを移動し、ダメージを受けて落ちては再度難所を通り、といったことを、極力したくないのである。

まったく無くしてほしいというワケではない。
こういうステージがあった、こういう敵がいた。
まいったなあ、という死に方をした。
それがあってこそ、ゲームという媒体の意味があるだろう。

だが、それは俺にとって、数回やれば良いものなのである。

ボス戦にしたってそうで……また、ゴツいボスがいるのだ。
乗っている足場が主人公もろとも跳ね上げられたり、そのうえで画面の広い範囲に攻撃が行われたり、だけれども演出も伴って、燃える展開だったりする。
で、実際難しいから何度も死ぬわけだ。

数回はいいんだ。またセーブポイントから小さな足場を伝ってボスのマップまで行く。

でも、何度かすると、「いや、もう俺はこのボスについては十分なゲーム体験をしたぞ?」となる。

俺はもう、麺をすすり、スープも半分は頂き、この店のラーメンの味は既に知っているのに、店主は大盛りでスープを飲み切るまで食ったことにならないと言ってくる。

子供の頃だったらクリアするまでやろうとしただろうし、実際、何時間もかけてクリアしただろう。
今は、「ゲーム体験を得る事」が目的なのである。
「難しいゲームを体験」はしたい。だが、「難しいゲームを克服する」のはキツいのだ。

激辛カレーを食べるのは嫌いじゃないが、食べきるとなると――いや、もう食べ物の例えはいいか。

簡単に言えば、俺にとって『ラ・ムラーナ』は、 
難しいうえに、しつこい

一応謎解き面にも触れておくと、先程触れた「巨人霊廟」は良いのだ。ヒントと謎解き先が同じ遺跡なので、スッキリしている。

ただ、間もなく、行けるところが多すぎるうえに、謎解きのヒントが遺跡間を跨ぎだす。
宿題の量だけが増えていくので、難しいというよりは、「今どこまでが後回しの謎で、どこまでが着手すべき謎なのか」が解らなくなる。

そして後回しの謎が着手可能になったころには、それがどこに行けば解けるものだったかなど覚えてはいない。となると、総当たり、である。
コマンド式ADVであればボタンを押すだけだったあの総当たりを、2Dアクションの全マップで行う訳で、これはもう、ゲーム体験ではなく「時間の浪費」である。
一応は「見た文章を記録できるアイテム」があるし、PS Vitaのスクショ機能も役に立つ。が、「仕掛けによってどこかの壁が壊れた」など、とりあえず動き回ってみないと何とも言えない場面も多々ある。

「プレイヤーのライフ」だけでなく「プレイ時間」をリスクと感じている以上、このゲームと合うわけがない。というのが、表題の「理由」となる。
ゲーム中で提示された情報から期待できるプレイ時間に対し、プレイテクニックによる「やりがいと達成感」による水増しがあったため、その結論に至った。

即ち、ゲームとはユーザースキルの研鑽によって得られる達成感が本質である、とする人にとっては、そのまま、良いゲームであり続ける可能性がある、ということだ。

さて、『ラ・ムラーナ』は現在続編が制作中とのことである。

ここまでつらつら書いた理由により、俺はその対象ユーザーには入らないことが想定できる。

だが、もし可能であれば……難しくてもいいので、しつこくないものをお願いしたいところである。
 

2017年2月13日月曜日

初めての自作ゲーム

毎年毎年、不定期的に「そうだ! ゲームを作りたい!」といっては企画だけして頓挫する、という趣味があるのだが、頓挫の理由はやはり、絵も曲もプログラムも1人でやるのがシンドい事に尽きる。

しかしデジタルゲームを作るならばそれはもう、仕方のないことである。

特にシンドいのがプログラムで、正直なところ、画像や音楽なら配布サイトから借りてもゲームは作れると思うのだが、やっぱりシステムやゲームルールは自分で決めないと、ゲームを作ったことにはならないと思う訳である。

ツールについては○○ツクールや、一般に配布されているアドベンチャー作成に特化したアプリや、或いはアクションスクリプトの記述を補助するものなど何かに頼りたいところだが、何にせよ演出だとか、ココを触ったら何があるとか、NPCがどう思考するだとか、システムをイジって初めて「オリジナルのゲーム」になると考えている。

で、結局、そこが、シンドイわけである。

頭で考えていることを、そう動くように設定するというのがプログラムなので、色々やっている間に「あーもう、考えてることはあるのに段取りするのがメンドくさい」ということになって、頓挫するわけだ。

(ただ、考えてみると「頭で考えてる景色を描くのが絵」で、「頭で思い浮かんでるフレーズを実際に鳴らすのが音楽」なので、そっちはメンドくさいかと問われると、単に、個人的に楽しい楽しくないの話である気もする)

そこで思い至るのが、「じゃあアナログゲームだったら作れるか」――だ。
何せアナログであれば、ルールさえあれば実際に思考するのは生身なのだ。こんな楽なことはない。ん? っていうか、いや、そうだよね。ん? ゲームってそもそも。ん? ん?

……などと考えていたところ、自身が初めて作ったゲームのことを思い出した。

------------------------------

5歳くらいの頃。
俺の家は、たしか、上の姉弟がファミコンをみかんの汁で壊したので、物心ついた時にファミコンは無かった。
真偽は不明だが、その代わり将棋や囲碁などアナログなテーブルゲームと、ファミコンの情報誌(ムック本)だけはあったので、それをヒントにオリジナルゲームのアイディアを考える趣味が芽生えた。

特に俺にとって革命的であったのは、ゴム人形つきのとんとん相撲キットであった。

これ、ひょっとして当時、ちょっとした値段だったんじゃないか?

3cmくらいの、相撲力士の人形(未着色)10体と、同じく行司1体、計11体。
力士はやせ形からあんこまでバリエーションがあり、千代の富士と小錦を模したような顔のものもあった。
行司の手には小さな穴が通っており、付属の軍配を差し込むことが出来る。

土俵もついていたが、ちゃんととんとん相撲として遊んだのは、たぶん最初1週間くらいであろう。
気づいた時には、将棋盤の上に乗せた行司と力士に向かって乾電池を転がし、弾き飛ばす遊びに変わっていた。
囲碁の石もあったので、それを使って行司と力士を弾き飛ばす遊びもしたし、磁石もあったので、それで行司と力士を弾き飛ばす遊びもした。

のべ1000体の力士を弾き飛ばしたであろう頃、たぶん俺の誕生日だったのだと思うけれど、ついに我が家にファミコンが来た。

------------------------------

当時よく遊んだファミコンソフトは、スーパーマリオブラザーズ、ロードランナー、スターソルジャー、ギャラガ、麻雀である。
幼いころだったから上手くはなく、クリボーには何度でも突撃したし、麻雀の役は七対子しか覚えられなかった。

ただ、恐らく俺はこの時、「NPCさん」という存在に気付いたのだと思われる。

将棋盤の上に力士を配置した俺は、電池を転がす軌道を決めた後、自分自身で力士を再配置した。
もう将棋盤は細かいキズでボロボロだったので、乾電池の軌道は必ずしも予想通りになるわけではない。転がした時に力士が倒れたならゲーム終了で、残ったなら続行。
ランダム性ゆえに、「乾電池の思惑」と「力士の思惑」を一人二役することができたのだ。

当時そんなことを考えていたわけはないが、「乾電池の神vs力士たち」というゲームが完成したのである。

そして、次の次くらいの誕生日に、スーパーマリオワールドのドンジャラセットを買ってもらった。

------------------------------

これは持っていた人、多いんじゃないか。

9種のキャラ×1~9の72個に、オールマイティ2個のドンジャラ牌。
黄色い「1」コイン、赤い「5」コイン、それから青の「10」コインに白の「50」コイン。
緑色のドンジャラ卓と、それにセットできるサイズで作られた、15種くらいのルールの異なるボードゲーム。

ドラえもんでも同種のものが出ていたハズ。

正直、これをちゃんとルールに沿って遊んでいた記憶はないです。
家族構成が悪い。
中学生になったばかりで自分が勝たなきゃ気が済まない盛りの兄と、高校受験を控えた多感な時期の姉と、40前半の共働きの両親の中で、俺、小学校低学年だからね。

多人数で遊ぶボードゲームが活きる場面が無い。

だからといって、友達とも遊ばない。
ルールの解説がややこしいし、ていうか、もうスーファミもあるしね!

なので、俺にとって大きな収穫だったのは、付属していたマリオキャラ達のゴム人形だった。

これがまた、ボードゲームのコマ用だったため、力士と同じくらいの大きさだったのが良かった。
力士と行司と神しかいなかった世界に、ついに「主人公」が出現することになった。

------------------------------

使うものは以下。

将棋盤と、オセロの石(マグネット)。


力士10体、行司1体、マリオ1体。
母親のスケジュール表からくすねてきた磁石5個。

1.ゲーム準備
まず、将棋盤の手前玉将の位置(5九)にマリオを配置する。
行司は「ボス」である。相手方玉将の位置(5一)に、向き合うように置く。
力士たちは「ザコ敵」で、行司同様、マリオの方を向くように、任意の位置に配置する。
それから、オセロの石を黒を上にして置いていく。
石は壁を示すため、置き過ぎず少なすぎず、双方にフェアであるように置く。これで1画面見下ろし型のアクションゲームのステージが完成する。
なお、ザコ敵よりも石の配置を先に実施しても問題ない。

2.ゲームルールの把握
2-1.行動順
ターン制である。
マリオは3マス、行司、力士は1マス動くことができる。
行動順は、マリオ→行司→力士で、力士は「ターン開始時点で上の座標にいる者から順に」動く。
また、行動をパスしてはならない。
2-2.発砲
全てのキャラは1マス動作分の行動を消費して、八方向のいずれかに向けて「銃を撃つ」ことが出来る。弾は何かを使って実際に飛ばすわけではなく、想像で、直線上を飛ぶと見なされる。
壁に当たるか、もしくは別のキャラに当たった時点で弾は停止し、貫通しない。
また、ナナメに配置された石の間は通り抜けられないものとする。
2-3.キャラの死亡
マリオはライフを3持っている。行司、力士は1である。
銃撃を受けるごとにマイナス1され、ゼロになった時点で死亡する。

3.ゲームの終了
目的は以下の3つのいずれかが採択される。
・行司の殺害
・全敵キャラの殺害
・青い磁石の回収(準備時、磁石を任意の位置に配置しておく)

そう、これが、俺が初めて「ゲームを作ろう」と意識し、実行し、ゲームプレイまで至れた最初のゲームである。
マリオは1ターンに3回行動ができ、すべて移動に使っても良いし、発砲に充てても良い。
いずれにしても、力士の行動を予測し、撃たれない位置取りを行う必要がある。

一方力士は、常にマリオを発砲するように最適化して動かなければならない。
しかし行動が1回であるうえ、ルール2-1によりパス不可であるため、「ただ撃たれるために出てくる」ケースについては受容する必要があり、他力士との連携をとることになる。

こんなの作ってれば、そりゃ、一人遊びもゲーム作りも好きなまま大人になるわな!

3.特別なルール(お好みで追加)
3-1.死体は消滅せずその場に残る。他のキャラはそれを押すことが出来る。
3-2.行司は、隣接した力士の死体を、行動を1回消費して蘇生することが出来る。
3-3.白面が上になったオセロの石は、銃撃で破壊可能な壁を示す。
3-4.棒磁石は、1ターンごと、N極を軸に時計回りで回転する回転扉を示す。回転扉に巻き込まれた場合はライフ-1となる。

これら一連のルールは、マジで当時思いついていたもので、今このブログを作るためにでっちあげたものは1つもない。1年くらいはこのゲームに静かにハマっていたため、もう刷り込まれているのだ。

解らないのは、一体この行事と力士たちがどんな悪事をしたのかと、なぜ己の体格を生かさずに拳銃に頼ったか、ということだけである。
 
ともかく、世のお父さんお母さん、
1.まずは「アナログゲームとゲームの情報誌」だけを与えて、
2.いい具合のタイミングでテレビゲームに触れさせ、
3.その後また新しいアナログゲームを買った場合、
子供がどうなるのか、上記、ご参考頂ければと存じます。