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【更新履歴】
17/2/28 音楽ノート|2015年~今年にかけて録音していたオリジナル曲や、20年前、子供の頃に作った曲など……たぶん30曲くらい追加。

2017年4月8日土曜日

怪異が結局なんだったか解らないゲーム

というのは、如何ですか。


「ああ、本当に思いついただけなんだな」と思って下さい。

「どうせ斬新なアイディアだと思いやがったな、こいつ」と思って下さい。

ただ、思いついてしまったので……


ということで、何かというとホラーゲームの話なんだけど、ホラーゲームで一番「怖くなくなる瞬間」「楽しくなくなる瞬間」が何かと考えると、誰もが思いつく通り、「怪異の正体がわかっちゃった時」なんじゃないかと思う訳だ。

この「正体」とは「ああ、これは○○家の□□さんですね」とネタバラシすると怪異としての不気味さが薄れる……よりも、どちらかといえば「対処法」のことで、 例えば、



か弱い少女(プレイヤーキャラクター)が薄暗い館を歩いているとする。
怖いシチュエーションだ。


すると、物陰からオゾマシイものが姿を現す。
怖い怖い。


で、殴れたら、やっぱり、だめだよねということだ。

殴って蹴散らすなり追い払うなりできた時点で、それは怪異や恐怖でなく、「敵」になってしまう。

ホラーめの雰囲気のあるゲームは、なにしろ、何も出てこない最初が怖い。
何がどこから出てくるのか、様々な最悪なケースを想像できるのが誰あろう自分自身だからかもしれない。

初めてなにか出てきた瞬間も怖い。
この時、プレイしている方は操作方法も十分に解らず、適切な対処ができるか心構えの十分でないままに、怪異に向き合わなければならないからだろう。

が、操作に慣れて対処できるようになった瞬間、怪異は想像でなく経験になる。
「敵の見た目がアレなだけのアクションゲーム」か、「気が散る要素のあるアドベンチャーゲーム」かに陥る可能性がある。

ということで、20年以上前あたりから、「主人公が特に武器を持っていない」ホラーゲームが出るようになったし、今も出ているわけである。

ただ、主人公が戦えないだけで怖いかというとそうではないと思われる。

結局、怪異はなんらかの形で出るわけで、そうなれば、逃げる、隠れる、触らないようやり過ごす、といった、こちらのやるべき事は何かしらあるのだ。

例えば「触れたら一発死。主人公、なすすべなし」というゲームがあるが、これも最初は怖いと思うものの、ゲームである以上ゲームオーバー画面を経てコンティニューして、再度同じ道をすぐにやり直すことになる。そうすると当然「攻略法」というものが生じるので、その時点で「怖い怪物」ではなく「触ったら死ぬ敵」になる。

最初は怖いかもしれないが、クリアするころには「見た目が怖いトゲゾー」みたいなものになっちゃうと思うのだ。

もう、つまるところ、「出てきちゃったら」、「敵になる」のではないか。

「出てきちゃったら」、「対処法が必ずあるので」、「その怪異のことが解ってしまうから」、「怖くなくなっちゃう」のではないか。

ということで極論だけれど、

じゃあ、その怪異が「出てこない」ならどうなんだって話になる。



か弱い少女が薄暗い館を歩いているとする。




間違いなくそこには何かおり、しかも残虐なことをしている。
が、肝心のその犯人はどこにも見当たらない。


なんだったら館の中で協力者だったはずのキャラが死んでいる。

が、肝心のその犯人はどこにも見当たらない。

間違いなくなにかが自分の近くで悪意を奮っているのに、それを突き止められないのだ。

これが延々続く。足や影くらいは見られるかもしれないが、決して対処できず、解決できない不安が常にある状態が維持される。のだけれど……

……これだけだとゲームにならない。
なにせ上記のプロットを成立させるには、「怪異の持つ悪意が、主人公には向いていない」必要があるのだ。
常に主人公は安全になってしまう。

なので、主人公には、「怪異とは別の恐怖」が存在する必要がある。



ええと、主人公は、何か呪われているのだ。

処置をしなければ体がどうにかなってしまうのだ。



その呪いを収めるには、死んで間もない人間の血が必要なのである。

グロ系かあ。うーん。
でもこのシステムなら、怪異が雰囲気を維持できて、且つ「自分の体が呪いに蝕まれる」のをゲーム性にでき、しかも「呪いから逃れるために積極的に死体に触れ、主人公がおかしなことになる」という形で、ちゃんと主人公に向けられた恐怖を作れるのでは……


ということで、結局ゲームである以上「目的」と「障害」と「対処」と「手応え」という、ロジカルな仕掛けが必要になるのだけれど、怪異そのものを「障害」にしてしまうと、それに「対処」が生じるためにせっかくの怪異が怖くなくなってしまうので、怪異には「ロジカルな仕掛けには絡まない」で頂くのがよいと思うのだ――という思いつきでした。
 

2017年2月22日水曜日

私と『ラ・ムラーナ』が合わなかった理由

突然ですが『ラ・ムラーナ』である。

2005年にPC向けにリリースされ、2011年にWii Wareとして発売、2014年からはリメイク版の『ラ・ムラーナEX』がPlayStation Vita向けにダウンロード販売されているインディーズ発のゲームである。

旬と語るには月日が経っている。攻略Wikiの更新も2年以上前だ。
が、Vita版で最近やっとプレイした私にとっては今が旬だし、少々、語りたい。
現在のプレイ時間は8時間程度。ボスは4体くらい倒した気がする。

まず、良いゲームである。

世界観が良いし、キャラクターのセリフの掛け合いも良いし、音楽も良い。

舞台は、「すべての文明の起源」と目される遺跡「ラ・ムラーナ」。
遺跡内は像・壁画・建築様式がしっちゃかめっちゃかで、現実に伝わる様々な文明があたかもミックスされたような、無国籍状態みたいなことになっている。
しかもちゃんと、しかるべきアイテムを持って調べれば、「○○遺跡にある□□に酷似している」、と考古学的一口メモが表示される。

そう、言い忘れていたけど、主人公は考古学者だ。
それも、忍者の末裔で異常な体力の持ち主のマッチョな考古学者だ。

そんな考古学者、「ルエミーザ=コスギ」を操作して、遺跡の謎を解き、伝説上のモンスターを倒していく。

面白そうだ!

いや、面白いのだ!

遺跡の謎、というのがまた良い。 「ラ・ムラーナ」は20個弱ある遺跡が複雑に接続しあっている巨大ダンジョンで、それぞれにキャラクター性、というかコンセプトがある。

例えば解りやすいのが序盤の「巨人霊廟」。
ここでは石造りの巨人像が9体立ち並んでおり、雰囲気作りとしても十分だし、その腕や頭を移動手段として伝っていく事もできるエリアだ。

そんな中、エリア内に点在する石碑を調べていくと、断片から組み合わせて、9人の巨人たちのストーリーが見えてくる。
4人の巨人と4人の巨人が争った。
ある者は「月夜の晩に地への祈りをはじめた」。
ある者は「争いに破れ、胸に大きな穴を開けられた」……

ここからが面白くて、エリア内の仕掛けを作動させていくと、その石碑の文章になぞらえたような変化が生まれる。
特定の像の胸が開いてアイテムが出てきたり、実際に像が祈るポーズになって新たな足場になったり。

わくわくするのである。

で、それに乗っかってくるように、セリフに異常なクセを持つ登場人物たちが良い。
村の長老はコウモリカレーの作り方をメールで送ってくるし、3000年の眠りから覚めた少女は「眠い。我、寝ますね。」と仰々しく言って寝る。

雰囲気が良い、のだ。

さて。
そんなゲームだが、どうにも私は合わないのである。

これがナゼかというと、これはもう、どうにも、やっぱり、大人になったからという気がする。
身も蓋もなく言えば、歳である。

このゲームね……「効率よく謎解きをさせてくれない」の。
「一定の2Dアクションをさせることで、試行錯誤をする権利を得る」仕組みなの。

そうそう、また言い忘れてた。このゲームのジャンルは「往年の探索型2Dアクション」だ。
メトロイドの多くの作品とか、悪魔城の一部の作品とかの、アレだ。

謎解きつきの2Dアクションなワケだ。
グラフィックも、ちゃんと見せるべき箇所は解像度が高く、2Dアクションを提示する範囲ではシンプルにドット絵だ。

となると、操作性の話もしなくちゃならんのだが、操作性はね、アクションしてる分には普通です。

ジャンプボタンでジャンプして、攻撃ボタンで攻撃する。キーコンフィグつき。
もちろんハシゴは上下ボタンで昇降するし、ジャンプの軌道や幅は予測しやすい。

敵については、レトロゲーム準拠で普通。これが問題だ。

アタリ判定を無視して画面中を無軌道に飛び回る鳥、
自在にワープを繰り返し遠隔攻撃を行ってくる魔法使い、
こちらの武器が届かない行動パターンを繰り替えすボス、
ダメージによるノックバック、
動くリフト伝いに高所を移動している時に限っていいところにいる敵、
画面切り替えした瞬間いいところにいる敵、

レトロゲームで「プレイヤーをムカつかせてきた」パターンが、結構な箇所に配置されているのだ。

これについて、気に食わない事が2つある。

ひとつは、こういったものを批判してはいけないような雰囲気がありはしないか、ということだ。

「レトロゲーム」には、しばしば、「古き良き」または「良くも悪くも」がアタマに付く。
前者はいうまでもなく、後者も、本当に悪いと思った場合には付けることはない言葉だろう。

「不便や不親切さがあるのは解っている。だが、それを含めた味がある。解ってるんだ」と先手を打つために、レトロゲームには「良くも悪くも」が付けられる。

レトロゲームらしさの表現が上手ければ上手いほど、始めから、文句は想定してますよ、という顔をされるような気がするのだ(もしかすると、レトロゲームらしさを前面に出す場合、なぜか制作サイドは不親切さをセットに付けたがる、ということもあるかもしれないが)

それに、上記ムカつきパターンの対抗策は「テクニック」ということになるが、それのせいで、「下手なら文句いうんじゃないよ」ということになる。
ソレが理不尽だというのなら、プレイヤーの腕がそれを克服するべきなのだ、ということになる。

つまり、最初から「レトロゲーム的な」題材を選んだ時点で、「理不尽だ」というストレスを向ける先を奪われやすいわけである。

もうひとつは、ゲームが上手いということとゲーム体験としての満足感が別である、ということだ。

勿論、あくまで、個人的にである。

俺は、別に「ゲームがうまくなりたい」わけではないのだ。
謎解きアクションにおいて、俺は、「謎を解きたい」のだ。
そういった場合に、2Dアクションとしての腕の見せ所たる難所を通らされ、手がかりを集め、リフトを移動し、ダメージを受けて落ちては再度難所を通り、といったことを、極力したくないのである。

まったく無くしてほしいというワケではない。
こういうステージがあった、こういう敵がいた。
まいったなあ、という死に方をした。
それがあってこそ、ゲームという媒体の意味があるだろう。

だが、それは俺にとって、数回やれば良いものなのである。

ボス戦にしたってそうで……また、ゴツいボスがいるのだ。
乗っている足場が主人公もろとも跳ね上げられたり、そのうえで画面の広い範囲に攻撃が行われたり、だけれども演出も伴って、燃える展開だったりする。
で、実際難しいから何度も死ぬわけだ。

数回はいいんだ。またセーブポイントから小さな足場を伝ってボスのマップまで行く。

でも、何度かすると、「いや、もう俺はこのボスについては十分なゲーム体験をしたぞ?」となる。

俺はもう、麺をすすり、スープも半分は頂き、この店のラーメンの味は既に知っているのに、店主は大盛りでスープを飲み切るまで食ったことにならないと言ってくる。

子供の頃だったらクリアするまでやろうとしただろうし、実際、何時間もかけてクリアしただろう。
今は、「ゲーム体験を得る事」が目的なのである。
「難しいゲームを体験」はしたい。だが、「難しいゲームを克服する」のはキツいのだ。

激辛カレーを食べるのは嫌いじゃないが、食べきるとなると――いや、もう食べ物の例えはいいか。

簡単に言えば、俺にとって『ラ・ムラーナ』は、 
難しいうえに、しつこい

一応謎解き面にも触れておくと、先程触れた「巨人霊廟」は良いのだ。ヒントと謎解き先が同じ遺跡なので、スッキリしている。

ただ、間もなく、行けるところが多すぎるうえに、謎解きのヒントが遺跡間を跨ぎだす。
宿題の量だけが増えていくので、難しいというよりは、「今どこまでが後回しの謎で、どこまでが着手すべき謎なのか」が解らなくなる。

そして後回しの謎が着手可能になったころには、それがどこに行けば解けるものだったかなど覚えてはいない。となると、総当たり、である。
コマンド式ADVであればボタンを押すだけだったあの総当たりを、2Dアクションの全マップで行う訳で、これはもう、ゲーム体験ではなく「時間の浪費」である。
一応は「見た文章を記録できるアイテム」があるし、PS Vitaのスクショ機能も役に立つ。が、「仕掛けによってどこかの壁が壊れた」など、とりあえず動き回ってみないと何とも言えない場面も多々ある。

「プレイヤーのライフ」だけでなく「プレイ時間」をリスクと感じている以上、このゲームと合うわけがない。というのが、表題の「理由」となる。
ゲーム中で提示された情報から期待できるプレイ時間に対し、プレイテクニックによる「やりがいと達成感」による水増しがあったため、その結論に至った。

即ち、ゲームとはユーザースキルの研鑽によって得られる達成感が本質である、とする人にとっては、そのまま、良いゲームであり続ける可能性がある、ということだ。

さて、『ラ・ムラーナ』は現在続編が制作中とのことである。

ここまでつらつら書いた理由により、俺はその対象ユーザーには入らないことが想定できる。

だが、もし可能であれば……難しくてもいいので、しつこくないものをお願いしたいところである。
 

2017年2月13日月曜日

初めての自作ゲーム

毎年毎年、不定期的に「そうだ! ゲームを作りたい!」といっては企画だけして頓挫する、という趣味があるのだが、頓挫の理由はやはり、絵も曲もプログラムも1人でやるのがシンドい事に尽きる。

しかしデジタルゲームを作るならばそれはもう、仕方のないことである。

特にシンドいのがプログラムで、正直なところ、画像や音楽なら配布サイトから借りてもゲームは作れると思うのだが、やっぱりシステムやゲームルールは自分で決めないと、ゲームを作ったことにはならないと思う訳である。

ツールについては○○ツクールや、一般に配布されているアドベンチャー作成に特化したアプリや、或いはアクションスクリプトの記述を補助するものなど何かに頼りたいところだが、何にせよ演出だとか、ココを触ったら何があるとか、NPCがどう思考するだとか、システムをイジって初めて「オリジナルのゲーム」になると考えている。

で、結局、そこが、シンドイわけである。

頭で考えていることを、そう動くように設定するというのがプログラムなので、色々やっている間に「あーもう、考えてることはあるのに段取りするのがメンドくさい」ということになって、頓挫するわけだ。

(ただ、考えてみると「頭で考えてる景色を描くのが絵」で、「頭で思い浮かんでるフレーズを実際に鳴らすのが音楽」なので、そっちはメンドくさいかと問われると、単に、個人的に楽しい楽しくないの話である気もする)

そこで思い至るのが、「じゃあアナログゲームだったら作れるか」――だ。
何せアナログであれば、ルールさえあれば実際に思考するのは生身なのだ。こんな楽なことはない。ん? っていうか、いや、そうだよね。ん? ゲームってそもそも。ん? ん?

……などと考えていたところ、自身が初めて作ったゲームのことを思い出した。

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5歳くらいの頃。
俺の家は、たしか、上の姉弟がファミコンをみかんの汁で壊したので、物心ついた時にファミコンは無かった。
真偽は不明だが、その代わり将棋や囲碁などアナログなテーブルゲームと、ファミコンの情報誌(ムック本)だけはあったので、それをヒントにオリジナルゲームのアイディアを考える趣味が芽生えた。

特に俺にとって革命的であったのは、ゴム人形つきのとんとん相撲キットであった。

これ、ひょっとして当時、ちょっとした値段だったんじゃないか?

3cmくらいの、相撲力士の人形(未着色)10体と、同じく行司1体、計11体。
力士はやせ形からあんこまでバリエーションがあり、千代の富士と小錦を模したような顔のものもあった。
行司の手には小さな穴が通っており、付属の軍配を差し込むことが出来る。

土俵もついていたが、ちゃんととんとん相撲として遊んだのは、たぶん最初1週間くらいであろう。
気づいた時には、将棋盤の上に乗せた行司と力士に向かって乾電池を転がし、弾き飛ばす遊びに変わっていた。
囲碁の石もあったので、それを使って行司と力士を弾き飛ばす遊びもしたし、磁石もあったので、それで行司と力士を弾き飛ばす遊びもした。

のべ1000体の力士を弾き飛ばしたであろう頃、たぶん俺の誕生日だったのだと思うけれど、ついに我が家にファミコンが来た。

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当時よく遊んだファミコンソフトは、スーパーマリオブラザーズ、ロードランナー、スターソルジャー、ギャラガ、麻雀である。
幼いころだったから上手くはなく、クリボーには何度でも突撃したし、麻雀の役は七対子しか覚えられなかった。

ただ、恐らく俺はこの時、「NPCさん」という存在に気付いたのだと思われる。

将棋盤の上に力士を配置した俺は、電池を転がす軌道を決めた後、自分自身で力士を再配置した。
もう将棋盤は細かいキズでボロボロだったので、乾電池の軌道は必ずしも予想通りになるわけではない。転がした時に力士が倒れたならゲーム終了で、残ったなら続行。
ランダム性ゆえに、「乾電池の思惑」と「力士の思惑」を一人二役することができたのだ。

当時そんなことを考えていたわけはないが、「乾電池の神vs力士たち」というゲームが完成したのである。

そして、次の次くらいの誕生日に、スーパーマリオワールドのドンジャラセットを買ってもらった。

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これは持っていた人、多いんじゃないか。

9種のキャラ×1~9の72個に、オールマイティ2個のドンジャラ牌。
黄色い「1」コイン、赤い「5」コイン、それから青の「10」コインに白の「50」コイン。
緑色のドンジャラ卓と、それにセットできるサイズで作られた、15種くらいのルールの異なるボードゲーム。

ドラえもんでも同種のものが出ていたハズ。

正直、これをちゃんとルールに沿って遊んでいた記憶はないです。
家族構成が悪い。
中学生になったばかりで自分が勝たなきゃ気が済まない盛りの兄と、高校受験を控えた多感な時期の姉と、40前半の共働きの両親の中で、俺、小学校低学年だからね。

多人数で遊ぶボードゲームが活きる場面が無い。

だからといって、友達とも遊ばない。
ルールの解説がややこしいし、ていうか、もうスーファミもあるしね!

なので、俺にとって大きな収穫だったのは、付属していたマリオキャラ達のゴム人形だった。

これがまた、ボードゲームのコマ用だったため、力士と同じくらいの大きさだったのが良かった。
力士と行司と神しかいなかった世界に、ついに「主人公」が出現することになった。

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使うものは以下。

将棋盤と、オセロの石(マグネット)。


力士10体、行司1体、マリオ1体。
母親のスケジュール表からくすねてきた磁石5個。

1.ゲーム準備
まず、将棋盤の手前玉将の位置(5九)にマリオを配置する。
行司は「ボス」である。相手方玉将の位置(5一)に、向き合うように置く。
力士たちは「ザコ敵」で、行司同様、マリオの方を向くように、任意の位置に配置する。
それから、オセロの石を黒を上にして置いていく。
石は壁を示すため、置き過ぎず少なすぎず、双方にフェアであるように置く。これで1画面見下ろし型のアクションゲームのステージが完成する。
なお、ザコ敵よりも石の配置を先に実施しても問題ない。

2.ゲームルールの把握
2-1.行動順
ターン制である。
マリオは3マス、行司、力士は1マス動くことができる。
行動順は、マリオ→行司→力士で、力士は「ターン開始時点で上の座標にいる者から順に」動く。
また、行動をパスしてはならない。
2-2.発砲
全てのキャラは1マス動作分の行動を消費して、八方向のいずれかに向けて「銃を撃つ」ことが出来る。弾は何かを使って実際に飛ばすわけではなく、想像で、直線上を飛ぶと見なされる。
壁に当たるか、もしくは別のキャラに当たった時点で弾は停止し、貫通しない。
また、ナナメに配置された石の間は通り抜けられないものとする。
2-3.キャラの死亡
マリオはライフを3持っている。行司、力士は1である。
銃撃を受けるごとにマイナス1され、ゼロになった時点で死亡する。

3.ゲームの終了
目的は以下の3つのいずれかが採択される。
・行司の殺害
・全敵キャラの殺害
・青い磁石の回収(準備時、磁石を任意の位置に配置しておく)

そう、これが、俺が初めて「ゲームを作ろう」と意識し、実行し、ゲームプレイまで至れた最初のゲームである。
マリオは1ターンに3回行動ができ、すべて移動に使っても良いし、発砲に充てても良い。
いずれにしても、力士の行動を予測し、撃たれない位置取りを行う必要がある。

一方力士は、常にマリオを発砲するように最適化して動かなければならない。
しかし行動が1回であるうえ、ルール2-1によりパス不可であるため、「ただ撃たれるために出てくる」ケースについては受容する必要があり、他力士との連携をとることになる。

こんなの作ってれば、そりゃ、一人遊びもゲーム作りも好きなまま大人になるわな!

3.特別なルール(お好みで追加)
3-1.死体は消滅せずその場に残る。他のキャラはそれを押すことが出来る。
3-2.行司は、隣接した力士の死体を、行動を1回消費して蘇生することが出来る。
3-3.白面が上になったオセロの石は、銃撃で破壊可能な壁を示す。
3-4.棒磁石は、1ターンごと、N極を軸に時計回りで回転する回転扉を示す。回転扉に巻き込まれた場合はライフ-1となる。

これら一連のルールは、マジで当時思いついていたもので、今このブログを作るためにでっちあげたものは1つもない。1年くらいはこのゲームに静かにハマっていたため、もう刷り込まれているのだ。

解らないのは、一体この行事と力士たちがどんな悪事をしたのかと、なぜ己の体格を生かさずに拳銃に頼ったか、ということだけである。
 
ともかく、世のお父さんお母さん、
1.まずは「アナログゲームとゲームの情報誌」だけを与えて、
2.いい具合のタイミングでテレビゲームに触れさせ、
3.その後また新しいアナログゲームを買った場合、
子供がどうなるのか、上記、ご参考頂ければと存じます。
 

2016年12月2日金曜日

ゲーム音楽ライブ LEVEL UP 「Lv.6」

去る11月20日、札幌すすきののライブバー「UNION FIELD」で、ゲーム音楽ライブ LEVEL UP 「Lv.6」が開催されました。

ということで思い出がてら、セットリストと感想を書いていきます。
いつも通り、内輪ネタだよ!

あ、いう順番逆だったけど、出たの。出演したの。

結局2バンドに出演、13曲に参加、とやたら出ることになったんだけど、これには理由があって。
主催のはにゅうだくんが、結構早い段階……8月上旬ころにはダイレクトメッセージをくれていて、とにかく「普段さば夫さん(ゲー音部部長)に頼りっぱなしだから、さば夫さんを出さないでみんなの力でライブをしよう!」というコンセプトが先にできあがっていた。
で、それが割とスムーズに、
「さば夫出禁ライブ」
「縛りつけてでも演奏させない」
「ならどうせなら聞いてて"うわー弾かせてくれ"と言いたがりそうな曲をやろう」
という、イヤガラセのような形にまとまったわけで、いや、愛されてるよね。
つまり今回のライブは、一種、さばさん自体がコンテンツであったということです。

そんな「出てないだけで主賓じゃねえか」ライブにおいて、私が出たのが「T-SQ」と「THE・アル酎」。


▼T-SQ について
2年くらい前に「世界樹部」として結集した、『世界樹の迷宮』の音楽を演奏する、部活内部活。
今回他メーカーの曲も入れまくったため、こういうチーム名になった。詳しくはそれぞれの曲で。

1. Tavern(シャイニング&ダクネス)
T-SQの「S」(セガ)担当。
バイオリン担当のはるさんリクエスト。
そして、はるさん以外誰も知らなかった曲。
カントリー調でセッション形式で仕上げやすく、メンバーソロ回しの他、はるさん作詞でレベルアップ紹介の歌も乗った。
しかし、スタジオに練習に入るたび、「未だになんのゲームかわからねえな……」「まずゲーム名がなぜか覚えられねえな……」「シャイニングのせいでスコーピオンが邪魔をしてくるんだよな……」と、各メンバーからぼやきが漏れたものである。

2.ダブルドラゴンのテーマ(ダブルドラゴン~ダウンタウン熱血物語)
T-SQの「T」(テクノスジャパン)担当。
非常にカッコいいメインテーマ。
3年前、札幌開催のイベント『サウンドテスト0002』で私がリクエストした、「ダウンタウン熱血物語メドレー」の一部を持ってきた。
当時、熱血物語メインテーマ~ショップ~ダブルドラゴン~熱血物語タイトル画面で計7分30秒弱というメドレーを作ったところ、さすがに長い、とメインテーマだけの演目となったが、その最後を丸々抜き出したもの。
ただでさえダウンタウン熱血物語つきなのに、コードが似ているというだけで「Moon Over The Castle」(T-SQの「S」ソニー・コンピュータエンタテインメント担当、および、T-SQの「T-SQ」T-SQUARE担当)のメロディが入り込んだりもした。

3.バトル2(ロマンシング・サガ)
T-SQの「SQ」(スクウェア)担当。
やりそうでやってなかった曲。しかも、アレンジCD準拠で、ややこしい展開をする。
普段エロースティックギター(エロいアコースティックギター)でお馴染みのじょからさんが、エロキギター(エロいエレキギター)でソロやらツインメロディやらをぎゅんぎゅんいわすハードな楽曲となった。
ラストはエミさんのピアノソロ。恐らくこの曲をこんなコードで終わらせたバンドはそうはないだろう、というシメ方で結構気に入っている。


昼ドラの終わり方みたいなの。

4.夢の岸辺に~時のみる夢(クロノクロス)
これもT-SQの「SQ」(スクウェア)担当。
バイオリンのいるバンドだからこそな曲。編成の勝利だコレ。
時の見る夢はマトモにやるとえれぇ量の♭がつくため弦楽器向きでなく、一音上げたのだが意外に違和感なし。スマートにメドレーになった。

5.戦場 始動~戦場 明日を掴むは死闘の先(世界樹の迷宮Ⅴ 長き神話の果て)
これはT-SQの「SQ」(Sekaiju no meiQ)担当。SQは公式略称です。
2016年のゲームとしてはそりゃもうダサカッコイイ曲で、「このキメのところ全員で同じ方に向こう!」だとか「ここでジャンプしよう!」だとか「最後ジャッジャンッ!でガッツポーズしよう!」とか打ち合わせが大いに盛り上がった。


実際にメンバーに配ったもの。こういうの作るの、大好きです。
前半のピアノソロから後半のイントロに入る直前に、世界樹の迷宮シリーズメインテーマともいえる「初代のタイトル画面のフレーズ」をこっそり入れたのが、大変密かな隠し味。
アレをいれないとね、気が済まないのですよ。
あと、後半はやはりこうじゃなきゃ! と、「先制攻撃をした時にのみ追加されるイントロフレーズ」をねじこんだのだが、入れて良かった。あれがまた、ダサくてカッコいいんだ。



▼THE アル酎 について
大通ちょい南あたりの居酒屋チェーン「串鳥」で、5分で決まったチーム名。
みんなで飲みながら決めたので、仕方がない。
こちらのチームは、10~11月にメンバーが揃いにくかったことや(特に俺が殆ど出られなった)、メンバーが「譜面がなくても段取りが決まっていればどうにかなるだろう」「自分のパートを仕上げれば、一発勝負で合うだろう」というタイプの集まりだったことから、初めて全員が揃って通し練習をできたのは本番約4時間前。
ステージ上でビールを注文して乾杯したり、何人か曲の順番を把握していなかったり、酔っ払いの勢いで進めたが、それでもみんな「演奏が始まった瞬間シラフになった」ため、すごいバンドだったのかもしれない(そしてMCが始まった瞬間、「次何の曲だっけ?」「これそもそもなんのステージの曲だっけ?」とか言い出す)。

1. 進めニコル、ステラをとりもどせ!(愛戦士ニコル)
メンバー紹介曲。いくらなんでも普段メンバーが揃わなかったため、「1曲くらいは普段の活動で演奏したことのあるものを入れよう!」と安全性を求めて入れた曲。
でもこの曲でメンバー紹介は無理があったんじゃないかと今更思っている。

2.コナミレディ~コナミマン(コナミワイワイワールド)
ゲーム音楽演奏バンド「コロニー落とし」のアレンジを参照し、ループを増やすなどしたもの。
コナミマンのCメロは本当にカッコいいので、あのD♭Maj7を最大強調して演奏。

3.Mad Forest(悪魔城伝説)
悪魔城シリーズといえば、な曲は結構あるが、なぜこれに陽の目が当たらない、と思っていた一曲。
メンバーにはオリジナル準拠のループ譜面と、終わり方はこうしよう、という30秒未満の参考デモだけ共有していたのだけれど、まったくそのまんま想像通りに仕上がっており、本当に素晴らしい酔っ払いチームでした。

4.地上ステージBGM(まじかるタルるートくんFANTASTIC WORLD!!)
ファミコン末期の高難度名作アクション。
この1-1のBGMが好きで、「コレ絶対ボサノヴァ調にしたら合うよね!」と思って弾いたデモ音源がこれもまた完全再現されていたので、本当にいい酔っ払いたちでしたね。

5.森のキノコにご用心(スーパーマリオRPG)
しかし、ホント、一貫性ねえな選曲に。
有名なこの曲を、ドラムが倍速テンポで叩いて、ディストーションギターが鳴ったらどうなるか、を試したかったもの。なかなか、ダークな感じになって良かった。
実験精神だけでやった感じあり。
悩んだのが終わり方で、盛り上がりっぱなしでも持たないし、一度下げたらもう再度盛り上がりにくいし……と本番前週に協議(やっぱり全員集まらないので3人くらいで)した結果、


突然全楽器が止まってからのピアノソロということになった。
「なんか突然、森を抜けた、晴れ間が見えた、みたいな感じで終わろう!」と、最後は押し切るように決めて、ドラムのえーちゃんは頷きながら「うんうん、それでいこう、面白い、うんうん」と言い続けていました。
もう期日的にも「誰かが言ったヤツでもう決まりだ」くらいに切羽詰まっていたのです。
いや、好きだけどな、この終わり方。
最初「ボレロみたいにデデデーン! って終わろうぜ!」とか言ってたもんな、俺。

6.ゲツメン(わんぱくダック夢冒険)
「ドロシーズカフェ」アレンジ版。
純バンド編成楽曲、とはいえ、ゆうきさんが殆ど鍵盤パートを完コピしてくれていたので、俺は「ホワァァァア」とか「シャラァァァァァ」とか「シャンッ」とか鳴るパッド音をコードに沿って弾いていく、楽なパート。
たぶん、3年前のサウンドテスト0002の「DREAMS DREAMS」(NiGHTS)以来の、久々に「ホワァァァ」担当だった。

7.夢で終わらせない(バイオハザード)
音源資料がそうだったので、もうこれはやるしかないと、飛行機の音と爆発音を担当。
昔から「なんでGM128音にガンショットが入っているんだろう」とか、あのSFXシリーズが大変謎なのだけれど、ちゃんと楽曲に取り入れて演奏する時が来るとは。飛行機音と爆発音。
めちゃくちゃダサくてカッコいい、すげえ曲です。
演奏においては、とりあえずみんな各自音取ってきて合わせよう! という状況……どころか、「あ、本当にやるんだこれ!」くらいに思っていた中で、とにかくサビが異常にキャッチーなので、「サビを弾いている時の安心感とその他のメロディを弾いている時の緊張感を均す」ことがテーマになった。
でもやっぱり本番は、サビ始まった瞬間、みんなで飛び跳ねながら弾いていた。

8.マデゥーラの翼ステージBGM(マデゥーラの翼)
さばさんアレンジ版。
これもYoutubeに音源あるよ、だけであと各自お任せ状態だったが、本番前の通し練習で「ンタッターン」がハマった瞬間、よし大丈夫、となった曲。
ええと、2巡目が終わって、ギターソロが終わって、Bメロも終えた後のブリッジのね、8分休符置いて「ラッソー」って入る所。通じづれえ。でもハマったの。

あと、シンセソロは完コピした。

結構弾きづらいフレーズだったので通し練習中、ゆうきさんに、
「何かコードに合わせて弾けばよかったのに」
と言われ、それに対して、
「でもここは、このままやりたい、このままやりやがったと思わせるようにしたい」
と答えた所、
「そういうと思った」
と返されたのは、なかなかニヤつけるエピソードだったように思う。
 

2016年11月5日土曜日

『BEYOND two souls』をプレイしてるよ。

Playstation Plusでフリープレイなので、『BEYOND two souls』をプレイしている。
たぶんもう2~3ステージくらいで終わりだろう、あたりまで進めた。

で、ちょっと、色々感じるゲームなので、勢いで感想を書きたい。

まず、web上で見られる感想として、
・映画のようなゲーム
・ゲームのような映画
といったものがあるが、全く、実際そう思う。

ムービーと操作シーンの垣根が無い。
3Dでアクション要素のある多くのゲームは、明確に「あ、ムービー始まった」とわかる変化がある。操作可能な3Dモデルと、ムービーの中で動いている人物は、ライティングなりぼやけ方なり見た感じが違う。
でもこのゲームはもう、解らない。

ムービーのような画質で、3Dスティックで人物が道を歩く。
映画とかにある、あの上下の黒い線も表示されたまま操作シーンになっている。
主人公・ジョディは常に棒立ちでなく、頻繁に脚を前方に蹴り出したり、だるそうに傾いたり、表情を変えたりして、しかもシーンによって動き方も異なるから、自分の操作で立ち位置・アングルが決まったハズなのにムービーかと思うような映画的なカットになったりする。

だから、「これもうゲームでやる意味なくて映画見てるだけじゃん」という皮肉でなく、もう見たまんま、映画のようなゲームだし、ゲームのような映画だと思える。

で、そうなると「ストーリーの感想」と「ゲームとしてどうなんだの感想」という2つがでっかく存在する。
そこまで垣根を無くされたら、ストーリーが面白くないなら壊滅的だし、ゲームとして面白くないならいよいよ映画でやれとなる。

(個人的に)まとめてざっくりいうと、

ゲームとして面白いがすげえ気をもむ。

アメリカの連続ドラマを見てる時のような気分になるのだ。
気になるし、演出もうまいし、臨場感もあるししっかりドラマしているのだが、一方でシナリオの性質がどうも……「視聴者として心が痛むことを求められている」疲れを生じさせる。

主人公の境遇がそりゃもう悲惨なのだ。
起きる出来事がヘビーだ。
しょっちゅうピンチだ。
つまり殆どのシーンが「この主人公が可哀想だから、さあ、心配しろ、やきもきしろ」というもので……

そこに、ダメ洋画によくある、
「不快なだけのいじめっ子表現」
「気持ちのすれ違いじゃなくてただのグダグダ」
「視聴者にとっては既知の情報をキャラクターが誤認しているせいで、バカにしか見えない低クオリティ人物設定」
が乗っかってくるから、もう、感受性とかそういう問題じゃなく、
「オォーウ」とか言いながら身勝手に同情したり感動する模範的"アメリカンドラマ"視聴スタイルを、こっちが演じさせられるハメになる。

そいでもって話の繋げ方は、ハラハラさせられて、スッキリしないイヤな気持ちにさせられて、はい続きが気になるでしょ? というものだ。
紙芝居屋じゃねえんだから!
気になるわ!
だからプレイは続けたくなるわ!
疲れるけど!!

さてじゃあゲームとしてはどうなんだ、というところだけれど、殆どはQTE祭。
敵が襲ってきたら数秒以内に右スティックを動かしたり、×ボタンを連打したりする。

戦闘行為だけでなく日常動作もコマンド入力させられるのは面白い。
段差をまたぐだけでボタン2つを長押しするし、料理をすればコショウを振るにもショウガを入れるにも決まった方向にスティック入力。
操作をしたら何か反応がある、というのは原初的な遊戯だからか、もはやベッドから起き上がるだけで面白い。

難度はかなり低い。敵を攻撃するなら左右スティックを倒して離す、という気楽な操作を行うだけ。
なのに発生する効果はもうどっかんどっかん派手なので 、いってみれば花火大会で、「発射タイミングはプログラミングされていて、あとボタンを押すだけ」な状態のコントローラーを渡されているようなものである。
っていうかそもそもゲームオーバーが無く、失敗してもそれ用のストーリーが進むだけので、世界一派手なしかけ絵本とすら言える。

QTEの苦手な人にとっては悲しくなると思われるが、基本的には(ここではサスペンスなストーリー展開も好影響して)適度にゲームしている気分にさせてもらいながら接待されているようなものである。

だから、面白いけれど、 疲れるゲームなのだ。
全ステージがいちいちまだるっこしい会話劇つきのイベント戦、みたいな感じともいえるかなあ。

疲れる要因にはもうひとつ、ストーリー順のこともある。

全体で主人公の8歳から24歳ころまでの人生が語られるのだが、これが、時系列バッラバラに進む。
それはある程度10代のころが語られたら過去編に→その後は20代……のような可愛いものではなく、

1.幼少期
2.ちょっと大人になってから
3.少女期
4.ステージ1より更に前
5.ステージ2の前
6.ステージ2より後
7.一番古い時間軸
8.ステージ3より後で5より前
9.ステージ6の後
10.ステージ4の後
11. ステージ3より後で8より前

……と、頭を揺さぶるような順番。
操作のチュートリアルの都合や、大きなバトルステージのバランス配分、といった理由は見えるし、別に話の理解に混乱があるワケでもないのだけれど、このやり方、
あと何話やればエンディングなのか、自分はこのゲームを何割攻略できているのかがさっぱりわからないのだ。

更にはロード画面では時系列順にエピソードが整列していることもあり、進んでいるハズなのに後退していると認識させられ、ひどく気分のげんなりする仕掛けになっている。
冒頭書いた「もう2~3ステージくらいで終わりだろう」も、正直、攻略サイトを見てやっと解った。そして解って、安心した。

だから最終的には、「どのくらい進んでいるのか、いつ終わるかも解らない、滅入るくせに気にならざるを得ないストーリー」を、なかなか引き止めさせてくれずに続けなきゃならない、というのが、私のこのゲームに対する感想だ。
「ムービーだか操作シーンだか解らないゲーム」としては最高峰レベルなのに、大変勿体ない。

もしも、
・どれだけ過去に戻ろうが未来に行こうが構わないので、今がステージ幾つであと何ステージあるのかを明示化する
・シーンのスキップか早送り機能を付ける
ということをしてくれたなら、このゲームは人に薦められるゲームであると感じられたのだけれど、何だかこう現状では、
「『BEYOND two souls』? ああ……いや、面白いよ? あ、やるの……? あ、いや、止めないけど、何なら俺がストーリー要約して説明するけど……」
という感じのゲームである。

頑張ってクリアするさ。
数日くらい置いてから!
 

2016年9月9日金曜日

『よるのないくに』って

Playstation plusで今月フリープレイの『よるのないくに』を遊んでいますけどね、このゲーム、

ストーリーぺらっぺらっぺらぺらっぺらだな!!
 
といっても、少し検索してみるとやはりストーリー難ありのレビューが多く、だいたい発売は去年なのであるからいまさら何を言ってもというところだが、いや、それでも、どうしても自分の言葉でいいたくなってしまうくらい、ぺらっぺらぺらっぺらぺらんぺらんなのである。

ひとまず2章まで進めた!
なので以降の展開によってはなんらか意図的であったと判明する可能性もある!

そのうえでまず!

まずな!?


このゲームの舞台は、800年前のなんかファンタジーな戦い以降、夜は魔物が跋扈する危険な時間となってしまった世界で、世界崩壊を防ぐべく生贄となる巫女と、その親友で「教皇庁」なるところのエージェントである少女の友情の話……だと思う。

まず、この2人の娘さんたちが、オープニングのド頭から「超仲が良い」。
抱き合う、飛びついてのしかかる、一方的に養いたいと言いだす。どうみても百合ップルとして成立している。
そんな2人だったが、一方が巫女であるばかりに、世界の平和のために引き裂かれんとしている。

RPGにおいて、
「最初から完成された関係に危機が迫る」という設定は、 
そもそも面白くないと思うんだよ。

RPGというのはゲーム内プレイヤーがLv1からスタートするジャンルだ。プレイヤーの腕前と一緒に、ストーリーを辿って、数値という解りやすい形で成長するジャンルだ。
だのに、このゲームの物語は幸せ最高潮の2人が別れの予感にびくびく怯えながら過ごす話になっている。
テンションが落ちていく構造、と感じるのだ。

「幸せだったはずが」で始まるRPGは多いが、大抵オープニングが終わりプレイ可能になるころには「もう世界が崩壊した後」か、「主人公が力不足や未熟さを痛感した状態」だ。
それを平和や、身体的・精神的成長に持っていくから、プレイヤーのテンションは上がるもんだと思う。

勿論世の中にはあえて喪失を得ることが解りながらも進まざるを得ず、それが心地よいゲームもあるだろう。
FF10では最後、主人公は消えゆくと解って戦いに挑むし、RPGじゃないがメタルギアソリッド3では最後、任務のために師匠を撃ち殺す。
ただそれらはきちんと、プラスに向かっていく目的が明示されたうえで、その手段として「犠牲」というパフォーマンスを行っている。いずれも、それまで自身が行ってきたことや、他のキャラクターたちの想いを正当化するために、物語終盤でその犠牲を払っている。

『よるのないくに』も世界か? 親友か? ということでプラスの垣間見えなくもない構図なのだけれど、物語ド頭でそれを問われても何にも感じない。
800年前の戦争だ、恐ろしい妖魔だ教皇庁だと、どれだけ重厚な「設定」を音読されたところで、そんな世界、少なくとも私は知ったこっちゃない。そんならいいから迷ってないで親友を助けろとなる。

これが、この娘さん2人が初対面であったり、嫌いあう仲であれば良かったのではないかと思う。
世界を救わなくてはならないのに、せっかく出会った巫女とエージェントは自分勝手に衝突を繰り返す……いざ巫女が生贄だと知っても憎まれ口を叩くばかり……とかであれば、ありがちかもしれないが、テンションを上昇方向には持っていける。

良い方向に進んでいるなあ、という足がかりさえあれば、あとは勝手にこちらで楽しんでいくというのに、なにを最初から上がりきってんだお前たちは、という具合である。

もうひとつよくないことに、基本的にこのゲームは「キャラクターの対比」を完全放棄している。
B級映画だって「キャリアと武闘派の刑事コンビ」が組むから面白い。泥棒コンビは「ヤセでノッポとデブでチビ」だから話が進む。拳銃使いのコンビなんかプレイヤーで組んでもイマイチだけど、「拳銃の名手」と「日本刀を用いた○○流の末裔」コンビだったらなんべんでもストーリーはできあがる。

このゲームでは強いていえば気の強い主人公(さっきから名前思い出せないんだよ)と、ドジっ娘でスットロい巫女のリュリュ。世界よりもリュリュを守りたい主人公と、主人公を想いながらも役目をまっとうする事を選ぶ巫女のリュリュ。というくらいか。
それを除けば、主人公もリュリュも、ロングヘアーでノー眼鏡で巨乳である。
せめて髪型はもうちょい差をつけないかなあ!

それから拠点のホテルに現れる2名の男性宿泊客も、まったく意味なく互いに似ている。
髪の長さはほぼ同じだし、モノクル男子とメガネ男子だし、体型もちょっと筋肉質かそうでないか程度で、背も変わらない。
一応「2人とも(行動原理が)そっくりだな」「兄弟ですかね?」みたいな掛け合いはあるが、それって見た目が同じ時に使うギャグじゃないだろう。

こんなんなので、ロクにキャラクターの掘り下げが行われない。
違いが提示されるからキャラクターというのは立つだろうに、似たもの同士では、特に理由のない限り「じゃあ1人でいいじゃん君たち……」となる。

長くなったけれど、つまり、キャラクターの設置のしかた・考え方に思慮が見えないのだ。

で、上記のようにワクワク感のないストーリーだ。

一応いえば、セリフ回しもケチをつけられる。
「教皇庁」なるものにいちいち反感をあらわにする主人公は、いかにも男子中学生が寝る前に考えた"とりあえず権威や強大な力に歯向かっておけばカッコいい"オリジナルキャラクターの姿のように見える。
これには、主人公がなんべん舌打ちしようと、言葉だけで「あいつらのいいなりになったら魂まで盗られかねん」なんてセリフを言おうと、私は別にそこまでいうほどの教皇庁の悪事を見ていないので、共感しようがないということがある。
一方、なんらか事情を持って主人公を翻弄する「教皇庁」の親玉は、時折イベントシーンに現れ、なんだったら「噂をされてくしゃみをする」というギャグシーンも披露する。これは「悪を描き切れない(間が持たない)未熟さの避難先」と感じられる。

まだまだ言えるぞ。
21世紀もこなれてきた現状に、「食べた瞬間昏倒するほどマズいカップケーキを作っちゃう」という料理下手属性はなにごとだ。
そういうのはときメモの紐緒さんを最後にして20世紀に置いておくべきものだ。
そんなところも「あ、なんか、何も考えずにやったでしょ……なんか……」という思いを蓄積させる。

極め付けは、任務から帰って無事を喜び合ったと思ったら、まぁったくストーリーの流れに関連せず、突然ホテルのロビーでダンスを始め出す2人。
そのままスタッフロール流れてたほうがまだ面白いわ!

このシーンはなんかセリフ運びも「そういうところがずるいのよ! いっそ冷たい人だったら良かったのに――」などとミュージカルのようで、「はいはいよく思いつきましたねその"妄想.txt"」というだけの印象しかない。
入れたいと思ったシーンを、ゲーム制作ノウハウのあるたくさんのスタッフの力を用いて具現化した、ただそれだけのものだ。
同じ脈絡のないシーンのコラージュなら、インド映画のほうがまだ見るものを楽しませようとする心意気がある。
いや、インド映画に失礼だ。

ともかく、

RPGのストーリーを作るなら、概ねプラス方向でないと物事は成り立たない、と思うわけである。

良いんだよ、最初はドカンとマイナスで始めて。
「何百年前……」とか設定で無理やり大仰にしても、こっちはどうせ「早くキャラ動かせないかなあ」しか考えてないんだよ。
竜王がいつ現れたかとかどうでもいいんだ。それを倒してローラ姫を倒すというゴールがあれば楽しく遊べるんだ。
「そのまま維持されていたほうが幸せに違いない」ものが目的の見えないまま不安にさらされるのが、テンションの波を考慮せずただ場繋ぎだけをしているように見えるのが、このゲームについて、「誠にストーリーがぺらっぺらぺらっぺらっぺらぺらんぺらららんらんぺらんであるなあ!」と断言させるに至っているのだ。

『よるのないくに2』はシナリオ担当が代わるらしいけれどね。

とにかく、このご時世、フルプライスのコンシューマゲームってのは気を遣って作らなきゃあ、ソシャゲに食われる道楽ごとになっちゃうんだから、「本当にそういう物語を提供したかったのか」、今一度ゲームを作る目的をゲーム会社は考えて頂きたいものです。
 

2016年8月30日火曜日

『ドグラ・マグラ』を初めて読んだよ

『ドグラ・マグラ』を初めて読んだのですよ。青空文庫版の電子書籍があったので。
ついでに映画のほうも見たので、添付の画像はそこから。


まずこの小説について、読んだことがない人がネットなりで集められる情報は以下で、
・表紙イラストが、陰部を見せつけている病的なご婦人
・「読んだら精神に異常を来す」というキャッチコピー
・ヤフー知恵袋とかアンサイクロペディアとかの記事が人気

というものなんだけれど、
私にとって前2つはひとまず興味がなくて、それより3つめが気になっていたのですよ。

それは、『ドグラ・マグラ』を紹介しようとすると、きちがいのフリをしなくてはならない……というルールについてで、必ずそうでなきゃいけないかのように、
「私は何度か読みましたが特に問題はありません。
 なので精神に異常を来すことはありません。
 ただの小説ですよ、証拠に私は正常です。
 なので精神に異常を来すことはありません。
 だいたいそれが本当なら精神医学が黙っちゃいません、
 すぐにでも読者を入院させサンプルを採るでしょう。
 しかし私にそんな経験はありません。
 なので精神に異常を来すことはありません……」

などというテンプレを書き連ねている様子が検索でひっかかることについて。

いかな作風がそうさせた? と思ったわけだ。

一方レビューサイトやウィキペディアを見ると、読むたびに感想が変わる、ストーリーが変わる、登場人物やその解釈が変わるから、どのように解釈したり要点をまとめてもそれは多義的解釈のひとつに過ぎない、などと書かれている。
なんだったら、一読しただけで百を知ったように考察するのは浅はかだというような雰囲気さえ出し、寧ろそうした多面的なトコロを「知った顔」をするのが唯一認められたふるまいであるような様子がある。

どちらにも共通しているのは、この作品に対しての「解ってはならぬのだ」という態度だ。
いわば「自分の一面の常識だけで測って知った気にならず、あえて幻惑されるのが通というものなのだ」といいたげな気がしていたのである。


今回そんな『ドグラ・マグラ』を読んだうえで、別にそうしたところにケチをつけるつもりはなくて、何も「じゃあ一発"解答"を示してみよう」だとか、「斬新な考察をしてやろう」という気はまったくない。
あくまで、「なぜそうなったのか」が気になっただけである。

それに、通して読むと「多面的なトコロを知った顔をしてやる」のは、確かにこの作品に対する礼節であるように思われた。

ただ、時は2016年である

あ、いや。
そう、時は2016年なのである。

まず、『ドグラ・マグラ』は、
・「私」が記憶をなくしている状態で
・それはそれはえらい精神医学の権威と法医学の権威が、それぞれに「先入観を植え付けるような怒涛の状況説明」を浴びせてきて
・しかもどうやら「私」は「1000年前の遺伝子が呼び起された」という動機によって殺人をしでかしたかもしれない
という話で、つまりは誰あろう語り部について、見るもの聞くもの考えること、すべてが100%信頼できないという状況下に常にある。

でも、現代においてはそういった作品に、割とそこそこの人が慣れてしまっていると思われる。
ミステリでもライトノベルでも萌えアニメでも、そういうことは概ね手法のひとつとして認知されている。
「あ、すべては精神上での誤認識でしたオチかあ」くらいに、筋立ての一種として経験値がある。

して、上記のうえで「私」は「時間軸のきちんとした把握」すら危うい。
・さっきまで目の前にいた人との会話は、過去の記憶だったのかもしれぬ
・いま初めて正気に戻ったような気もしたが、2回目なのかもしれぬ
・今見えている自分のそっくりさんは、自分の記憶を客観視した姿なのかもしれぬ

でもそれにしたって、やっぱり、決して世界唯一の設定でないことをもう知っている。

未来と過去が一室に同居するくらいのことはどこかで見ている。
散歩道で自分自身におーいと声を掛けられる怪談を知っている。
美少女が気持ちだけで延々同じ日を繰り返せることにも、或いは特定の人だと思っていた人物が、外科手術を施して深い深い暗示をかけられた別人である可能性にも、最早現代となっては寛容なハズである。

だから、今『ドグラ・マグラ』を読むと、シンプルにすとんっと「そういう箱」に入れることは可能だし、
またそういう箱の中の作品には「読者に最終的な解釈をゆだねた話」も多量にあるため、明快なオチを得なくても宙ぶらりんのまま消費することが問題なくできるわけである。


つまり一旦結論を置くと、
確かに不思議な話であったし、多義的解釈が可能であることも解った。
上記のような話であるから、ひとつの解釈を押し付けるのは確かに却ってつまらない。なんだったら、「読んでごらんよ、ほら」と言ってしまう気持ちも概ね解る。
それに、「私」を通した作品世界が時空の歪んだ幻想的な印象をもたらすことも重々よく解った。
ただ、「私は狂っていませんと同じ言葉を繰り返すきちがいのフリをする理由」は見つからなかった。

なので、そうしたネットでの取り扱い方を見て、読まずに咀嚼したい人にとりあえずいうならば、「これは"主観が読者をだますタイプの話"であって、ずっと気が狂ったままの、ましてや暴力的に読者の神経をかきまわす話ではないですよ」、ということになる。

そもそも、登場人物がみんな頭良すぎるんですよ。
精神医学博士に法医学博士に記憶喪失の医学部生だから。
主人公も安易に叫んだり気を狂わすことなく、極めて冷静、論理的であろうとするし、物事を考える際も「自分が気がくるっている可能性」をきちんと考慮し、しかも、博士たちの言葉に対しても自分なりの筋道を立てたうえで鵜呑みにすることなく警戒する。
勝手に狂って読者を置いてきぼりにする人が、ひどく出番の少ないモブ精神病患者の描写を除いて、いないのね。

ではなぜそうした「フリ」が生まれるのかというと、どうも、『ドグラ・マグラ』の文章のすごさと、作中の、精神の病気に対する解釈であるように思う。


まず既に書いた通り、少しばかり設定は変わっているが、いかにもミステリ的な要素がある。
殺人を犯したかもしれない記憶喪失の主人公と、その記憶を復活すべくさまざま入れ知恵する2人の博士。
そして、どうやら記憶が回復し、犯人について一定の結論を出すことによって、専門の異なる2人の博士の勝敗が決するらしい、というシチュエーション。

なので、劇中起きた事件についても、主人公は調書や、博士が当事者にしたインタビューの手記という形で触れることになる……のだけれど、これが、本当にそのまま掲載されているのね。
調書が、まんま。
インタビューの内容が、そのまんま。
抜粋でも、「そういった事が書いてある」でもなく、そのまま本編と地続きに記載されている。

更に「1000年前の遺伝子の記憶が殺人を引き起こした」というトリックについて、作中では「心理遺伝」と称しているのだけれど、それの論拠として作中人物が「脳髄論」について語ったインタビュー記事や、「胎児の夢」といった論文が、やっぱり、そのまんま載っている。

ついでに、博士が全国を行脚し行ったお囃子「キチガイ地獄外道祭文」の文句も、全部、載っている。
この、お囃子、「いかに精神病院が合法的地獄か」をリズミカルに唱え、合間にはちゃかぽこちゃかぽこと木魚の音が入るものなのだけれど、文庫だと30ページ続くらしいのね。電子書籍だと、もう……100ページはこれだったのかもしれない。

そう、途中で何読んでるのか解らなくなる。

こればっかりはさすがに文章量で圧倒というか、そうそうお目にかかれはしないレベルであり、ここで生の論文なりインタビューなりを読ませることで読者を当事者にしちゃう、という構図があるのやもしれない。

そしてもうひとつズルいのが、既に「モブ精神病患者」と書いたけれど、ホントにいかにもな気の狂った人はモブ扱いで、殆ど心理遺伝の説明の一部くらいにしか持ちられていない。
ポイントはそうしたキャラクターたちを差し置いて、「そもそも普段マトモぶっている人が何気なく思う妄想だって異常だ、そしてそれも心理遺伝の仲間だ、普通人もまた精神異常者なのだ」という言説のほうに重きを置いている。

だから、『ドグラ・マグラ』を読んでストーリーに一定の納得を得た読者は、普通人であるために「きちがいでなければならない」ことになる。

と、これが恐らくは「フリ」の理由の一端なんじゃないかとしたうえで、再度結論を置くと。
そして今度は、そうしたネットでの取り扱い方を見て、せっかくなら読んで咀嚼したい人にとりあえずいうならば、「読みやすいペースで、読むのがダルいところは飛ばしながら、一応はミステリを読むつもりで」読めば、現代においては問題なく読了できるし、「日本3大奇書の一角を制覇!」とも威張れるし、それ相応の読後感も得られるのではないかと思う。